やまぼうし物語

「広島勤労者ハイキングクラブ」は、 1988年(昭和63年) 4月 23日(土)の第 1回設立総会を開いて正式に誕生しました。
当時の様子を「機関紙 やまぼうし」に投稿されていた若木さんの記事から抜粋してお届けします。題して・・・


 やまぼうし誕生の秘話


flower  ≪広島労山から円満解決≫

「広範なハイキング志向の人たち」を取り込んだ新しい会を創設しようと、1988年 1月広島労山の副会長だった堂垣内崇雅さんを中心に 8名の仲間が集まった。母体である広島労山から分離独立する際に、これ以上会員を引き抜かないという条件で設立準備会は立ち上げが認められた。
(4月23日の結成総会開催までに)準備会は全部で3回開かれている。この準備会で「やまぼうし」のキャッチフレーズ「ノンビリノビノビリフレッシュ」が新江義雄さんの提案で決まった。

詳細は、1988年発行の「労山ハイキングクラブ・結成準備会ニュース 第1号」をご覧ください。
こちらから


いろんな想いを込めてスタートした「広島勤労者ハイキングクラブ」
ホームページの冒頭にもある「ザックかついで のんびり、のびのび、リフレッシュ おおらかで楽しい山の会」
今まで何気なく目にしていましたが、引き継がれてきた25年の重みを感じますね。



flower  ≪やまぼうし名物 豚汁誕生≫

≪やまぼうし名物 豚汁誕生≫

1988年4月 17日(日)
第 1回 一般募集山行 聖山 参加者 83名
(4月23日の)総会に先立って会員参加を呼び掛ける一大イベントとして一般募集山行を行うことにした。
大型バス 1台がいっぱいになるかと心配したが、日を追って参加者が増えマイクロバス 1台を加えて 83名の参加者が集まった。
頂上で作った豚汁が好評で、以来、やまぼうしの定番料理となっている。


大自然の中でみんなで味わう豚汁。最高の御馳走ですね。
現在も一般公開バスハイク、障がい者登山などで作られていますが、「やまぼうし名物の豚汁」にも、25年の歴史があったとは驚きです。
ちなみに、ホームページの中に、代々引き継がれている豚汁のレシピが載っていますよ。
会員の方、探してみるのも楽しいかも・・・



flower  ≪愛称 「やまぼうし」誕生≫

1988年 4月 23日(土)18 時30 分   参加者 15名
「広島勤労者ハイキングクラブ」第1回設立総会開催
総会は利田昭雄さんの司会で進められ「のんびり のびのび リフレッシュ」のキャッチフレーズに共鳴し、山で鍛えるのではなく、ゆっくりと自然と親しみたい。という声が多く出ました。
総会の参加者の気持ちを大切にしてゆきましょう。そしてそれを会の理念にしましょうと確認しました。

〜「(仮称)どっこいしょ 創刊号」より抜粋〜


 この時の機関紙の名前は「どっこいしょ」だったが、評判が悪く愛称を募集することになった。
「こもれび」「マンサクの会」「やぼ(野歩)」「緑林」「野っ歩通信」など提案があったが、松尾さんが提案した「やまぼうし」が採用された。
第 3号から「どっこいしょ」に変わって「やまぼうし」となった。


先輩方の試行錯誤が伝わってきます。
意外にも「やまぼうし」の名称は機関紙の愛称として募集・採用され、途中から「広島勤労者ハイキングクラブ やまぼうし」に定着したようですね。



flower  ≪大勢集まった≫

一般募集山行
第 1回目 聖山 大型バス 1台、マイクロバス 1台 83名参加
このときは案内のビラを 2000枚も刷って知り合いに配って回った。

第 2回目 雲月山 大型バス 1台 63名参加
土井紀子さんが実行委員長を務め、大型バス 1台と自家用車 2台を出した。

このあたりからしばらくは、山行募集の案内を出すとすぐ大型バス 1台くらい満員となるほど参加希望者は多かった。
多少なりとも利益も出た。ところが儲かるとなるとみんな黙ってはいない。
旅行会社・バス会社などがどんどん山登りのツアーを売り出して大宣伝をするものだから、やまぼうしの一般募集山行はたちまちマイクロバスもみたせないほどになってしまった。
しかもリピーターばかりなので、会員の増加には寄与せず手間ばかりかかるので中止の意見が強くなった。


今の「やまぼうし」があるのも、こうした諸先輩方の努力の賜物です。
それにしても、旅行会社よりも早く一般募集山行を行っていたなんて着眼点がすごいですね。


This story is to be continued.

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